御祭典
● 大神宮御祭典
 50周年


●祈年祭
 二月十七日
春にその年の五穀豊穣を国家国民の繁栄を祈ります。

●例祭
旧 四月七日
由緒縁の日に神職のみにて厳粛に執り行われます。

●新嘗祭
 十一月二十三日
秋に新穀を奉納して神の恵みに感謝します。

●御網立

旧 正月   自十三日夕
         至十四日朝
神池阿漕浦の鯉を大神様に献納します。現在は阿漕浦は原子力施設等の管理区域となり立ち入りができないため祭典のみ行い、旧暦の正月一日より十五日の期間は、神職は「肉・豆」を食すことは許されず、拝殿においても「太鼓」を叩いてはいけないしきたりがあります。その期間、神職は潔斎を厳重におこない、ひたすら神明奉仕に努めます。

 神池阿漕浦
大神宮から約400メートル西に位置する面積約99,000平方メートルの御神池です。
古文書に「自然の湧水にして、池水清澄、未だ嘗て枯渇したることなく、其水深を知らず。古来殺生禁断にして魚族甚多く、水一升に魚八合の称あり・・」と記されています。
東海村近隣には自然の湧水が多く、隣接する日立市の水木にある「泉神社(式内社)」に現存する御神池は未だに自然の湧水で、阿漕浦と泉神社の池がつながっているという伝説もあります。
現在は原子力施設への分水を行い、管理区域となっていますが、今も昔の面影をとどめ、自然林に囲まれた風光明媚な池で、朝夕・四季の変化に応じての趣があります。
河童伝説・片目の魚伝説など多くの民話にも出てくる池です。
<阿漕浦の片目の魚>
昔阿漕浦には魚が棲んでいませんでした。村人たちが相談し、伊勢の阿漕の浜から神様の魚を分けていただき池に放すことにしました。村の代表が伊勢に赴き事情を話し、伊勢から「真薦(まこも)」に載せて大切に運びました。
さて、無事に村に着き阿漕浦に魚を放そうとしたときのこと、伊勢から真薦に載せて大切に運んできた魚の片目が、真薦にこすれてつぶれています。しかし、目以外は無事で元気でしたのでそのまま池に放しました。
それ以来、阿漕浦の魚はすべて片目で、阿漕浦には「真薦」が生えないそうです。

●春季大祭
旧 正月 十五日

御筒粥神符頒布。旧藩時代水戸藩主の御参拝がありました。


●神幸競馬祭

俗にヤンサアマチと呼ばれます。神輿が磯崎の浦へ神幸渡御し、近隣四十八ヶ村が神輿を奉じて磯出をします。氏子の中より駿馬六頭を選出し神鉾を捧げて村松海岸より磯崎の浦にある「酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)」までの二里八町(約10km)の海岸で競馬を行います。この祭典は中世に廃絶したものを、元禄九年徳川光圀公が復興しました。光圀公はこの祭典に臨まれたとき、次の詠を詠まれました。

千早振る神の磯出のくらべ馬
しき波かけて今日きそうなり

現在は海岸線が開発によりなくなり、競馬を行うことができず、祭典のみ執り行われます。

 天狗の面


ヤンサアマチの時に、大きな天狗の面が神輿の先導役として氏子中によって担がれました。どこの神社の神輿渡御の時にも、天狗さんが先頭にいます。これは、天狗のようではありますが、正確には「サルタヒコ」という神様です。サルタヒコの神様は、「古事記」の「天孫降臨」に書かれています。天照皇大神から「中つ国(地上の世界)」を治めるように命を受けた「ニニギノミコト」が高天の原から中つ国に降りられるとき、ニニギノミコトの案内役を買って出たのが「サルタヒコ」の神です。サルタヒコの先導のおかげでニニギノミコトは無事中つ国に着くことができました。この故事に由来して、サルタヒコの神様が神輿の先導役として先頭を歩くことになりました。大神宮では大きな面をサルタヒコの神様として神輿の先導役になっていただきました。神輿が向かった「酒列磯前神社(さかつらいそざきじんじゃ)」にも、大神宮と同じ大きな天狗の面が拝殿に納められています。

神輿

●春謝祈願祭
神恩報謝開運祈願を古式により執行する。