大神宮便り

● 宮司家系

荒木田宮司


荒木田宮司の家系
荒木田家は、天の岩戸の前で太祝詞を奏した天児屋根命を遠祖としている。すなわち、天児屋根命二十一世の孫天見通命が、垂仁天皇の御代伊勢国五十鈴川に大神宮御鎮座の際奉仕しその孫最上命は成務天皇の御代に、伊勢最上新田を開墾し、大神宮御領田として奉献した。その功により荒木田姓を賜り、子孫連綿大神宮に奉仕した。その思代家(昇殿奉仕の家柄)の一人荒木田泰高が初めて伊勢より下向し、ここ村松大神宮に奉仕した。その十代泰盛までは累代上京参内を許され、叙位任官の栄に浴し、伊勢内宮において神禮傳授があった。しかし時運変遷により兵火の災、祭祀の紊れがあり、久しく家運が衰退した。
徳川幕府が開かれた後、徳川光圀公は祭祀の革正を図り、家系を精査考究され、泰高の後裔荒木田泰信を長官とし、以降その正系を擁護し、居を神域の辺に移させ、大神宮に専心奉仕させることとした。累代の子孫は尊皇敬神の念篤く、王政復古、明治維新に際しては
大いに勤皇の精神を鼓吹、一族の中には大義に殉じた者も多い。